はじめての海外旅行はケニアだった。バブル経済初期、軽薄な大学三年生だった私はまわりの友人たちがヨーロッパとアメリカばかりに行くのが気にくわず、「だったら自分がほかのところに行くしかない」という無根拠な思い込みで飛行機に乗った。着いてみたら予想外のことばかりだった。想像していた「アフリカ」がないのである。これは考えてみれば当然のことで、こっちが勝手に像をえがいていても、そのとおりの現実がむこうにあるはずがない。高層ビルがそびえたつナイロビ市街を歩きながら、むしろこの落差こそ旅行の醍醐味なのだと自分を納得させようとした記憶がある。
ドキュメンタリー監督の小林茂さんによる新作「チョコラ!」を見た時、この感覚を思い出した。ナイロビから四五キロほど離れた人口十万の地方都市ティカに暮らすストリート・チルドレンと、彼らを支援するNGOを五か月にわたって取材した作品である。これを見るとアフリカの子どもたちに対して持っていた像はあっというまにくずれる。悲惨な現実のなかでも失われない純真な心......などかけらもない。画面に出てくる子どもの多くはシンナー中毒である。食事中でさえ吸っている。嘘もつけば、盗みもする。仲間を殴る。
ところが街中をうろつく子どもたちをすべて固有名詞で呼びつづける小林さんの微細な画像を見ているうちに、彼らの無軌道な行動がしごく当然のように思えてくるから不思議である。彼らの行動を正当化するつもりはないが、批判する気もうせてくる。シンナー中毒の九歳の少年を前にして、私たちはその子自身に対して責任を問うことができるだろうか。彼が路上でシンナーを吸わなければやっていけないような状況をつくった人間のほうこそ批判されるべきではないのか。
ところが本作にはそうした社会構造についての指摘もない。エイズや貧困についての深刻な議論も登場しない。抽象的な理屈をあえて封印し、野宿する子どもたちが汚いミルク缶で炊いたトマトピラフ(これがけっこうおいしそうだったりする)を奪い合う場面をていねいに撮影する。そうした描写によってかえって大きな社会的な問題が私たちにつきつけられる。自分の先入観が具体的な現実描写によって変わっていくのがわかる。全体にただようユーモアのセンスによって非常に「見やすい」作品になってはいるが、背後の過酷な現実は伝わってくる。ドキュメンタリーの王道的手法の勝利ともいえる作品である。