小林監督からの報告:松本〜京都

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8月上旬、松本〜京都での上映にあわせてトークショーを行った小林茂監督からのレポートが届きました:

8月1日(土)

今日から3日間は私の地元の長岡まつり。昭和20年8月1日未明、空襲により長岡は焼け、約2500人が亡くなりました。その復興を祈念して花火が打ち上げられ、今に至ります。5年前の10月には中越地震。その翌年から復興祈念花火フェニックスが加わりました。「ジュピター」の音楽とともに信濃川いっぱいに打ち上げられる花火に市民は涙します。この花火の最後、大輪の花火の中に「不死鳥」が羽を広げます。

ケニアに「チョコラ!」撮影で滞在した3年前は当然、花火は見ることができませんでした。しかし、松下さんが連れていってくれた日本食レストランにあった朝日新聞の一面に、そのフェニックス花火の写真が掲載されていたのです。

さて、この日は映画を公共ホールで上映会を続けるNPO法人「松本シネマセレクト」主催の「チョコラ!」上映会。駅から程近い「Mウイング6階ホール」。こういう形で月に数回も映画を上映するという活動にまず、驚き。運営スタッフも入場料を払って映画を見る。「松本に来て、好きな映画を見られない、都落ちした気分でしたが、この活動を知って、参加しました」という若き内科医。そうそう松本は信州大学の医学部の本拠。
上映後、スタッフの一人と対談形式で講演。お相手の男性Hさんは、長岡の大学を卒業し、新潟・市民映画館シネ・ウインドで働いたのち、地元に戻られた旧知の仲間。うーん、人生はつながっているなあ。「映画の前にコバさんから思春期という言葉がありましたが、それを念頭においてみたら、とても見やすかったし、そういう割りきりがコバさんらしいと思いました」とHさん。

書籍にサイン。私の前作「こどものそら」を伊那で上映したというお母さん方が、運営するNPO法人「山の遊び舎はらぺこ」の資料をもって、来てくれていました。また、南信で「チョコラ!」自主上映を計画している方も。

新幹線で日帰りは大変だろうからと、車をだしてくれた目黒さん、同行のマヒトさん。信州名物「お焼き」を土産にいただき、霧深き信州道を帰りました。松本セレクトのM代表をはじめ皆さん、どうもありがとう。


8月4日(火)

京都駅の南にある京都みなみ館の初日、舞台挨拶。座り心地のいい座席とクリアなスクリーンと、自然な感じの音響。すばらしい。この日は通常の初日の土曜日ではなく火曜日。また、上映作品もアニメの次が黒澤明の「羅生門」といった具合。「映画館に足を運ぶというエネルギーがとても落ちている。アニメを見に来た人が、あれ、これって、京都が舞台のあの黒澤の映画だよな、という感じで、名作にも触れてほしい」と運営のSさん。運営は大変なご様子で、「この、3年ですね、急な坂道を下る勢いです」。そんな中、映画界に飛び込んできた地元出身の若い女性の方が、支配人でした。いい映画に接してほしいという情熱が伝わってきます。観客には前作「わたしの季節」の舞台となった滋賀県びわこ学園関係者も多く、うれしい再会。

初日の数日前には京都新聞の夕刊にA4用紙に収まらないほどの大きさで芦田記者の取材記事が掲載。それを見た。なるほど、でかく出ています。「それでか、前夜、透析した診療所のスタッフがいろいろ話しかけてきたのは」
(小林茂)

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