STORY
朝焼けをバックに、一人の少年が鉄くずを拾いながら街を歩いている。麻袋の中では空き缶が彼の歩みにあわせて鋭い音をたてる。おもむろに少年は鼻歌を歌い出す。「ぼくたちにもきっと、善いことができるはず」
アフリカ東部に位置するケニア共和国。首都ナイロビから北東へ45km、車で1時間ほど行った所に人口10万余の街ティカはある。下町の自動車修理工場から出る鉄くずやプラスチックを集めて回収業者に持ち込むことで、いくばくかの収入を得て生活をする子どもたち。その鉄くずを集める動作から、スワヒリ語で「拾う」を意味する「チョコラ」と人々から呼ばれている。
シンナーに溺れる子も後を断たない。面倒見の良い回収業者のアレックスも時にはあきれ顔でこうつぶやく。「お前が学校で学んだ知恵は、全部シンナーでフイになったな」
そんな状況でも、子どもたちはお互いに助け合いながら生きる。早朝に集めた鉄くずをお金に換えるやいなや、みんなで食堂になだれ込む。「僕の肉をあげるから、ごはん分けてよ」「しまった! ドンゴの分を忘れてた。みんなで少しずつ分けてあげてよ」
セント・パトリック小学校の校庭で毎週日曜日に行われる子どもたちのサッカー試合。ティカの街で子どもたちの支援を続けるNGO「モヨ・チルドレン・センター」の活動の一コマ。日本人の松下照美(テルミ)が設立したこのNGOは、街の中心部にあるティカ・スタジアムの片隅にある小さな事務所を拠点に、ストリートの子どもたちのケアと孤児院の運営を行っている。突然、子どもの泣き声が響く。近くのスラムに母親と暮らしている10歳の男の子ムトゥリ。シンナーを持っている所をモヨのスタッフに見つかり、取り上げられたのだ。「明日の朝、制服着ておいで。一緒に学校に行ってあげるから。約束よ」突然、まだ涙の残る顔をあげ、鼻水を垂らしながら言う。「今日はまだパンをもらってないよ!」まだあどけなさの残るムトゥリの屈託のない笑顔に、微かな希望が見え隠れする。
豚やニワトリが残飯をあさるごみ捨て場。キャンドゥトゥ・スラムの路地を歩いて、アントニーと母親、そしてテルミの三人は学校に向かっていた。すっかり学校に来なくなったアントニーに先生は尋ねる。「どうして学校に来ない?」「べつに」 何を訪ねられても「べつに」。「この子は家の事なんか、何一つ手伝いません」自分は最善を尽くしてきたと訴えるお母さん。先生は言う「お母さんの努力をお前は踏みにじってるんだぞ」 。もう一切答えようとしないアントニー。
人々が行き交う、ティカのバスターミナル。食堂で流れるラジオからは、イラク戦争の影響で原油価格が高騰しているとのニュースが聞こえてくる。アンドリューは、ティカの町で小間使いやパーキングボーイとしてなんとかお金をもらいながら生活を続けている。シンナー中毒になり、時に自暴自棄になりがちな彼も、その人懐こい性格からみんなに慕われる存在だ。そんな彼が、突然、ティカ近郊に住む姉の家に住み、そこから学校に通いたいと言い出した。広々と続く草原を越えて、アンドリューの実家にたどり着く。立派な生け垣、きれいに掃除された庭、美しい農村風景。アンドリューの父親が一代でここまで大きく育てたという実家には、何棟もの建物が軒を連ねている。こんなに恵まれた環境にありながら、なぜアンドリューは家出を繰り返すのか。
「この子の為にこれまで何度も努力をしてきましたが、一向に更生してくれません。もうどうしたらいいのか」。同行してきたテルミに対し、英語で丁寧に応対する父親だったが、突然、キクユ語でアンドリューを罵り始める。「嘘つきめ! どの面さげて戻ってきたんだ。もうお前の事なんか知らん。勝手にしろ。町でのたれ死ねばいい」。父親の説教を浴びながらも、テルミに促され、アンドリューは勇気をふりしぼって発言する。「お姉ちゃんの所から学校に通いたい」「お前、本気か? あいつには子どもも男も居るんだぞ」。父親も、息子の不甲斐なさと自分の無力感に打ちひしがれているように見える。声を震わせて息子に語りかける。「お前がそばに居てくれなくて、私にいったい何ができる?」アンドリューの顔は、能面のようになったまま、動かない。
HIV感染を知り、離婚の後、最近になって子ども二人と共にスラムに移り住んできたルーシー。近所のキオスクのおばあちゃん一家に、本当の家族のように受け入れてもらっている。5歳の息子マイケルを預け、洗濯の仕事をするため高級住宅街に向かう。見事な手さばきで次々と洗濯を片づけていくルーシー。すっきりと晴れた空をバックに、洗濯物がゆったりと揺れる。仕事を終えてスラムに戻ると、真っ先にマイケルの所へ。今度は、泥んこになったマイケルをごしごしと容赦なく洗う。必死になって目をつぶる泡だらけのマイケル。夕方には10歳のエリザベスも帰宅し、親子で英語の宿題の時間。「よく見てごらんなさい。これは "逮捕" よ」「逮捕」。ストリートの子どもたちにも、昔、こんな幸せな時間があったのだろうか。
夜、ガレージ地区の路地裏。借りてきたペンキ缶を使って特製ピラフを作る子どもたち。「おい慌てるな!」「こんなウマい料理、ディセンバー・ホテルでも食べられないよ」「トマト40個だもんな」。それぞれに人に言えない弱みや事情を持つ彼らが、ストリートで仲間と出会い、協力し合い、自らの力で獲得した「解放区」。突然、リチャードがピラフを入れたバケツを奪おうとした。一瞬、緊張した空気が流れるが、なぜかみんな笑顔だ。じゃれ合いが時に本気の喧嘩になりかけるが、すぐに誰かが間に入り、その場を収める。すると、どこからともなく、さっきまで鍋として使っていたペンキ缶を叩く音が聞こえはじめる。
今は昔 99年も前のこと
僕はまだ小さな子どもだった
その頃 町をぶらつくことを覚えたんだ
貧乏は本当にいやだ
僕の家はビニールシートで出来ていて
役所の人間に取り壊されたんだ
今やもう僕には寝る場所もない
だからトラックの下で寝るようになったのさ
寒さが僕らの体に襲いかかる
警察は皆ぼくらを泥棒と呼ぶ
人々からは「チョコラ」と罵られ
本当に貧乏はいやなもんだ
そんなある日ある人と出会い
僕をセンターに連れてきてくれた
世の中には善い人たちも
いるんだって分かったんだ
センターは僕らの家になったのさ
サイラスが皆に叫ぶ。「"センター" の部分を "モヨ" にしようぜ! そうすれば映画に使ってもらえるかも!」 90年代、ある更生院に収容されていた少年たちが生み出したこの歌は、様々な替え歌を生みながら、今も子どもたちに歌い継がれている。
タバコはもうやめた
シンナーもやめた
ドラッグも全部やめた
センターが僕らの家になったのさ
カメラの前でここぞとばかりに芸を見せ合う子どもたち。「歌が終わる前に、一緒に開脚をやろうぜ!」前後の脈絡もなく延々と騒ぎ続ける子どもたちの屈託のない笑い声が、夜のティカの町に響き渡っていた。